浦宿(うらしゅく)駅に到着し、近くにある「蒲鉾本舗 高政(たかまさ)」さんに直行。
5分ほどで到着できます。地元で水揚げされたお魚を加工して、おいしい蒲鉾を作っています。

笹かまを代表として、揚げかまなどたくさんの種類があります。買ったものをその場であぶって店内で
食べることもできますよ。
普通の蒲鉾をその辺で買って食べるのとは全く違います。おいしい!やわらかい!お勧めです。
通販でも買えますよ。ぜひご賞味を!

私は蒲鉾セット(1500円)とおつまみの笹かまなどとともに、自家製の「わさびこがし醤油・かまぼこの塩
と「がんばっぺ女川! 負げねーど宮城! おだづなよ津波!」のタオルを買いました。
※ おだづなよ、とは 女川弁(宮城弁?)で なめんなよ みたいな意味だそうです。

自家製のお塩は、ワサビがピリリと効いていて旨い!です。蒲鉾だけでなく、お刺身にもグーでした。

高政さんを出て浦宿駅から女川まで歩きます(バスもありますが)。どんどん津波被害の景色が見えてきます。
建物がなくなっていきます。もうほとんどが更地です。家があったんだろうな、という状態です。

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 ↑ ほんの一部を切り取った写真です。写真を見ただけでは伝わりませんね。「で、何?」って言われそう。

女川のあちこちを歩き回りました。建物は片付けられ、平らな土地になっています。きれいに、というか
まずは更地にしている、という感じです。

カメラを向けて撮り続けましたが、撮ったと同時に自分で自分に「撮ってどうするんだ・・・」「これで
何かが伝わるのか・・・」と独り言の連続でした。

書けばキリがないです。片付いてはいますが、復興にはまだまだ時間がかかるんだろうな、と感じました。

象徴的な写真も撮りましたが、敢えてここには掲載しません。いくつかの様子が分かる写真、津波がどこまで
襲ったかがわかる写真のみ掲載します。

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 ↑ 高台にある「地域医療センター」の上から撮った女川港付近の様子です。建物、街並みは消えています。
   街があったのかどうかもよくわかりません。

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 ↑ この「地域医療センター」を下から見上げた写真です。海抜は16m以上あります。こんな高いところに
   ある場所の1階部分がほとんど津波で埋まったんです。信じられますか?

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 ↑ 地域医療センター入口にある柱に刻まれている津波の到達点の証し。地面から1.95mまで津波が来ました。

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 ↑ 高台から撮った女川駅があった付近の写真。どこに駅があったのか、正直今でもよくわかりません。

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 ↑ 地域医療センターがある高台は「輝望(きぼう)の丘」といいます。希望ではなく輝望です。
   私はこの言葉が好きになりました。

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 ↑ この高台に掲げられている横断幕です。住民の気持ちが込められています。

ここで~その2~を終わりにします。~その3~に続きます。~その3~は楽しい(?)話題を。